「Chapter09 メモをとることは、「考え」「覚える」教養にもなる」を読む
英語版は「9 Separate and Interlocking Tasks」
Chapter09 メモをとることは、「考え」「覚える」教養にもなる
現代人の注意力は低くなっている
マルチタスクは、そもそも人間にはできない
「書く」ことには「集中」と「持続的な注意」とふたつ必要
「書く場合」と「校正する場合」の作業は全然違う
文章上手は、しかるべきタイミングまで 「校正」をしない
原稿の構成は、印刷して目の前に置いておく
原稿の構成も自然にできる
クリエイティブな人とは、「集中」も「持続的な注意」も両方できる人
どの仕事が重要なのかは、何度もやってみて体で覚えるしかない
「この情報が大事だ」という直感力もメモで養える
脳を「記憶」で占めてしまうと、考えるための容量が減る
「思い出す」ことは、理解していないとできない
メモを入れる際には「問い」が重要
やっていることが完了するまでの間はずっと脳の容量を占めている
全体から考えて小さな問題に落としていけば早く結果が出る
シャワーや掃除の間に答えが見つかる場合が本当にある
メモがあれば、アウトプットへの道筋が生まれてやる気も生まれる
休憩をとると、また脳のリソースをあけることができる
現代人の注意力は低くなっている
現代人が置かれた情報環境
気を散らすものが増えている
注意持続時間を鍛える時間が減っている
マルチタスクは、そもそも人間にはできない
実験においては、マルチタスクをしていた人は生産性が向上しているように感じていたが、実際は大幅に低下していた
量だけでなく質も低下していた
メールを書きながら運転するなどの実験では特に
rashita.icon作業の組み合わせなどによって違った効果が出るだろうか
マルチタスクをやればやるほど生産性が下がる
マルチタスク中は、注意をすばやく切り替えている
疲れの原因になる
rashita.iconのは確かだとして、それ自体に何か──生産性向上以外の──効能は無いのだろうか
「書く」ことには「集中」と「持続的な注意」とふたつ必要
「書く」行為には、たくさんの作業が関わっている
キーボードを叩く
読書
理解
熟考
発想
つながりの構築
用語の区別
適切な言葉の模索
構成
整理
編集
修正
リライト
以上を、意識的に分けないと、マルチタスクになってしまう
それぞれ必要な注意力も異なる
必要なのは以下
集中
ひとつのことにのみ注意を向けること(数秒しか持続しない)
持続的な注意
長い期間にわたって一つのタスクに集中すること
rashita.icon「長い期間」はどのくらいの時間量がイメージされているのか?
このタイプの注意が現代ではもっとも脅威に晒されている
訓練することでひとつのことにより長く集中できるようになる
rashita.iconこれは「集中」を指しているのか「持続的な注意」が不明瞭
そのためには
マルチタスクを避け
気が散るものを取り除き
文章を完成させるために必要な異なる種類のタスク
をできるだけ分離して、互いに干渉しないようにする必要がある
rashita.icon「できるだけ分離」とは、どの程度の話だろうか。完全に分離できている状態こそが望ましいという想定だろうか
ツェッテルカステンは、短いメモの集合なので、妥当な時間でいまのタスクを終えてから次に進めるように、注意の切り替えが自然にできる
rashita.icon本当に?分量としては短くてても、それまでの自分の考えに関連付け、他の人が読める文章として書き表すのはかなりの時間と労力が必要なのではないか。著者が言う「妥当な時間」とは何を指しているのだろうか。「現実的」と同じ意味だろうか。
rashita.icon倉下の考えでは、書くという行為をするときに何かしらマルチタスクが発生することは避けられず、ということは、マルチタスクに慣れ、その環境下で遂行できる能力を鍛える方がよいと感じる。著者の意見はあまりに単純化された状況を想定していると思われる。
「書く場合」と「校正する場合」の作業は全然違う
上段の話が詳しく検討される
原稿の執筆と校正はまったく異なる脳の状態が必要
二つのタスクの切り替えは、経験と共に上手になる
rashita.icon特に詳しく検討されたわけではなく、上の二つの区分だけが挙げられた
文章上手は、しかるべきタイミングまで 「校正」をしない
頭の中の批評家がうるさいと文章は書けなくなる
rashita.icon執筆版のchatter
まず紙に書いて、紙の上で高める必要がある
rashita.icon高めるというのは何を指しているのか?
頭の中で一直線の文章に変えるのは困難
完璧主義者ではなく、しかるべきタイミングまで校正を留めるのが吉
rashita.icon一方で、永久保存版のメモは印刷物(最終成果物)であるかのように書くというわけで、それはやろうと思えばできる、という前提になっている。それは本当だろうか。ある概念を、一つの著述にまとめることそれ自体、実はハードモードであり、だから永久保存版のカードがなかなか書けないことが起こるのではないか。
原稿の構成は、印刷して目の前に置いておく
執筆中に言葉を探すには、文章の構成について考える必要がないほうが楽です
rashita.iconだいぶ不安定な日本語
原稿のアウトライン(構成)は、印刷して目の前に置いておく
文中の別の場所で扱うのでいまは書く必要がない内容を、きちんと把握しておくのも大切です。
rashita.iconこれもなかなか不安定な日本語
rashita.icon「きちんと把握しておく」が具体的に何を意味しているのかつかみかねる
アウトラインの作成や変更も、執筆とは異なるスキルが必要
思考ではなく、主張全体の把握
rashita.icon「アウトラインの作成や変更も、執筆とは異なるスキルが必要」はまったく同意だが、それが「思考ではなく、主張全体の把握」と位置づけられていることに首をかしげざるを得ない。そこに「思考」を見出せていないとしたら、たぶんその行為について十分に考えてこなかったのだろうと推測してしまう。
rashita.iconこのスキルが非常に重要で、執筆と並行するあるいは重なるスキルだからこそ、カードを書いて、主張の流れに沿って並べれば、「質の高い、説得力がある、明瞭な文章」が書けるわけではないと倉下は考えている。著者はどうやらそうではなさそう。
アウトラインの作成は独立したタスク
執筆の準備でもなければ、計画でもない
ツェッテルカステンでアウトラインを作る場合は、アイデアをいろいろと組み合わせて、興味を惹かれるつながりや比較を探そう
rashita.iconそういうのは探さなくても、もうツェッテルカステンに一つの塊、流れとして存在しているという話ではなかったか?
挙げられている内容
塊をつくり
他の塊と組み合わせ
あるプロジェクトにおけるメモの順番を決める
rashita.iconKJ法のような響き
メモをパズルのように組み合わせて、最適な順番を見つける必要がある
連想力を駆使する、クリエイティブな作業
できあがった構成のチェックは常に必要だが、ツェッテルカステンでボトムアップから作業していれば、必然的に何度も変更になる
メモのつながりをみながら、構成を変える必要が生じる度に、全体像を眺めて、必要な変更を加える必要がある
rashita.iconこれが一般的な執筆法が行っていることだろう。著者は何を否定して、何を肯定したいのだろうか。
資料などを読むことも、上記とは違った作業
読むことはテキストの性質に合わせて異なる注意が必要となる
さまざまな読み方が必要
rashita.iconまさにその通り
rashita.iconだとしたら、書誌カードやそのメモのやり方も「一つしかない」のでは足りないのではないか?
クリエイティブな人とは、「集中」も「持続的な注意」も両方できる人
現代の仕事では「集中」と「持続的な注意」の両方が必要になっている
心理学者オシン・バルタニアンの研究
有名な科学者の問題解決をしようとする行動は、特定のものへの卓越した集中力と、遊び心あふれるアイデア探求のあいだを行き来することができる。このことは、すぐれた問題解決が、そのタスクへの柔軟な戦略鷹揚の働きである可能性を示す
著名な科学者のワークフローは、飽くなき集中力ではなく、柔軟性を保った集中力
クリエイティブな人々は、大きく開かれた遊び心と、狭い分析的な枠組みを切り替えられる
ここから著者は、「そもそも柔軟になることが可能なしくみが大切」と導き出す
rashita.iconできれば、著名な科学者のがどういう仕組みを持っていたのかを論じて欲しいのだが、そういう議論はない
あらかじめ考えた計画からそれても崩壊することのない柔軟な作業構造が必要
rashita.icon計画から逸れたらすべての作業構造が崩壊するわけではない。多少手間が発生しても、そのまま継続できる程度の「硬い」作業構造だってあるだろう。あまりに短絡的な(というよりも誘導的な)議論ではないか。
計画を立てることは、自分をレールに載せることだと著者
rashita.iconそうではなく、レールを敷くことだろう。自分をそこに載せるかどうかは確定的ではない。仮に載せることを決めても、脱線することはいつだって可能。
rashita.icon断言してもいいが、計画からスタートし、そこから脱線して新しい発見をした科学者はいくらでも見つけられるだろう。
どの仕事が重要なのかは、何度もやってみて体で覚えるしかない
人間は、計画を立てるのをやめた瞬間、学習しはじめます。
rashita.icon何の根拠もない。ただ、計画をやめるだけの可能性がなぜ排除できるのか理解に苦しむ。
洞察を得て、すぐれた文章を書けるようになるためには、実践あるのみです
rashita.iconこれはまさにその通り
そのためには、文章を完成させるというゴールに必要な、重要で見込みのあるタスクを選び、それらのタスクの間を柔軟に行き来出来るようになる必要がある
rashita.iconある、と言える根拠はなんだろうか。
上記は、自転車の補助輪を外して、正しい乗り方を学習しはじめる瞬間に似ている
最初は不安に思うかもしれないが、最終的に自転車に乗れるようになるためには必要なこと
rashita.iconこのたとえだと、「補助輪をつけて自転車というものに慣れる行為も大切」という教訓を導き出せるだろうし、そうなると計画を立てることも最初は必要だと言えて、著者の主張の方向性が変わってしまうように思われる
熟練者は、どのタスクが本筋で、どのタスクが本筋でないか、判断する直感が身に付いている
rashita.iconその直感も外れることがある、というのが(いちおうの)熟練者の倉下の意見
例外なく適応できるルールはない
プロジェクト(この場合、アウトプットを生成するというプロジェクトだろう)は、それぞれに違う
各段階で自分で判断するしかない
rashita.iconまさにその通り
エキスパートになるには、みずから判断し、さまざまなミスをして学べるだけの自由が必要です
rashita.iconまったくもってその通り
rashita.icon計画を立てても、そうした自由が失われるわけではない、というのが議論に加えて欲しいポイント。計画が問題なのではなく、立てた計画通りに進めなければというマインドセットが問題なのであって。
rashita.iconだとすれば、どのようにカードを取り、知識を編成していくかということも、「自ら判断し、さまざまなミスをして学べるだけの自由」が必要ではないか。その(唯一とも言える)方法を提示する本書はそれにどう応答するのか。
「この情報が大事だ」という直感力もメモで養える
ツェッテルカステンを使うと、さまざまなシチュエーションで自然に十分な経験を積める
直感で判断できるようになる
直感=経験が積み重なった歴史、フィードバックループにより構築された実践の蓄積
ツェッテルカステンのワークフローは、執筆の各段階で何をするのかを明確には教えてくれない
その代わり、完成に必要なタスクを分離することは教えてくれる
それぞれの執筆タスクは妥当な時間内に完了でき、連動するタスクを通じてただちにフィードバックが得られるようになっている
rashita.iconなっているのだろうか?
rashita.icon著者が行う、タスクの上達の説明はまさにその通りだと思うが、ツェッテルカステンが執筆において同種の構造になっているというのはあまり説得力を感じない議論。
(rashita.icon内容的に、ここで章を分割したほうがよかった気がする)
脳を「記憶」で占めてしまうと、考えるための容量が減る
注意だけでなく記憶も限界がある
短期記憶の限界はすごく小さい
意味ある情報を使えば、記憶しやすくなる
「思い出す」ことは、理解していないとできない
理解している内容の方が思い出すのは楽
思い出すとは、常に理解すること
rashita.icon翻訳の問題だろうが「記憶することは、理解すること」なのではないか?
私たちが理解する内容は、法則、理論、物語、純粋な論理、メンタルモデルなどいろいろなものがありますが、それらは説明などを通じてつながっています。そうやって、物事を記憶しているのです。
メモを入れる際には「問い」が重要
意味あるつながりを自分の脳の外側につくるのが、ツェッテルカステンの目的
rashita.iconここで大きな目的が提示された、と理解していいのだろうか。つまり、「ツェッテルカステンの目的とは、意味あるつながりを自分の脳の外側につくることなのです」と説明することができるだろうか。
rashita.iconところで、つながりを脳の外に作ってしまったら、それは「記憶すること」や「理解すること」ではなくなる気がするのだけども。
rashita.iconむしろ、自分の脳内にあるつながりを、脳の外の媒体で表現するというのが適切なのではないか。
メモのあらゆるステップには問いが伴っている
この事実は自分のアイデアとどう整合するか?
この現象はあの理論でどう説明できるか?
ふたつのアイデアはお互いに矛盾するか、お互いを補っているか?
いま聞いた内容は以前に聞いたことがなかったか?
そしてなにより、メモyについてメモxはどういう意味か?
こうした問いは、理解を深めるだけでなく、学習も促進する
rashita.iconこの二つの違いが、よく汲み取れない。学習というのは、何かを覚えることという意味で用いられている?
アイデアや事実に対して意義のあるつながりをつくっておけば、思い出すのは難しくありません
rashita.icon「思い出す」とあるので、学習は覚えることの意味で使われていると想像する。
rashita.iconとりあえず、ここは重要な指摘。
rashita.iconこの問いを定式化(アルゴリズム化)したのがGTDで、著者はその問いを拡張したと言っていい
rashita.icon一方で、上記のような「関係性」についての問いだけだと「そもそも今自分がこうして揃えているものに何か意味があるのか」というメタレベルの問いは自然には生まれないことになる。根源的なアイロニーが欠如している。それは必ずしも悪いことではないが、一つの特性として踏まえておいていい。
やっていることが完了するまでの間はずっと脳の容量を占めている
情報を整理しておくと、長期記憶だけでなく短期記憶にもよい
ソ連の心理学者ブリューマ・ゼイガルニク
ツァイガルニク効果
完了していないタスクは、完了するまで短期記憶を占有する傾向がある
対策
「このタスクはあとで対応する」と脳が確信できるかたちで書き留める
脳は、実際に完了したタスクと、メモをとって後回しにしたタスクを区別しない
rashita.iconこれが意味することは何だろうか。「区別する」としたらそれはどのような状態を指すのだろうか。
一気にすべてを終えることはできないので、信頼に足る外部システムが必要
ツェッテルカステンでも同様
全体から考えて小さな問題に落としていけば早く結果が出る
「書く」というタスクを、小さなタスクに分割したあとに、それぞれのタスクについてどう思考を巡らせたという結果も、必ずメモとして書き留めること
rashita.iconどこに書くのだろうか?
こうした思考もメインのツェッテルカステンに入れるのか、それともプロジェクトの箱に入れるのかを明確にして欲しい
各タスクの思考の結果が書き留められていて、可能性のあるつながりが目に見えるようになっていたら、中断からの再開は容易い
rashita.iconこれはルーマンの方法に含まれていた話だろうか、それとも著者なりのアレンジだろうか
rashita.icon「可能性のあるつながりが目に見えるようになっていたら」とは具体的にはどういう状態を指すのだろうか。
後回しにした作業として残りがちなもの
未回答の問い
他のメモとのつながり
rashita.iconこの部分も意味が取りづらい
「この章を見返し、冗長な内容をチェックする」といった明確なリマインダーの形でプロジェクトフォルダーに格納されているタスクもある
rashita.icon今、全体として何の話をしているのかがだんだんわからなくってくる
永久保存版メモに書き直す作業が終わっていないもの
ノートに走り書きしたまま消されていないメモ
文献管理システムに保管されていない文献メモ
ツェッテルカステンでは、残っている作業を覚えていなくても、中断したところから再開できる
シャワーや掃除の間に答えが見つかる場合が本当にある
ツァイガルニク効果を効果的に使う
未解決の問いを頭の中にあえて留めておく
rashita.iconどうやって?
書き出せば、脳は安心して忘れるのではなかったか?
メモがあれば、アウトプットへの道筋が生まれてやる気も生まれる
人間の有限性のもう一つ:やる気、意志力
ワークフローの設計によって大きな差が生まれる
意志力は筋肉のようなもの
ウィルパワー、マシュマロテスト
すでにすぐれたルールがある作業環境にいる方が、認知負荷は小さい
意思決定はとても認知負荷が高い
rashita.iconツールではなく、ルールと述べている点は注目に値する
個々のメモの内容的処理については意思決定が必要だが、メモ全体の整理についての意思決定はひとつのシステムに定めることによって、以降は意思決定する必要がなくなる
つまり、走り書きメモを書き留めるためにいつも同じノートを使い、同じ方法でテキストからおもなアイデアを抽出し、常に同じような永久保存版メモに仕上げ、同じように扱っていれば、仕事における意思決定の数をかなり削減できます。
rashita.iconそのことが常に善と言えるだろうか。「仕事のやり方」をアップデートする機会はかなり削減されるだろう。論文をたくさん書く、ということがファーストプライオリティーであり、それが絶対に変わらないと確認できる場合のみ、肯定できると思う。
休憩をとると、また脳のリソースをあけることができる
休憩は、回復のチャンスなだけでなく学習に不可欠